津屋崎人形のルーツを辿る旅

お盆ということで、津屋崎人形もご先祖様に想いを馳せようと、ルーツを辿ってみました。

そもそも津屋崎人形は江戸時代に、福岡県福津市(旧:津屋崎町)の在自(あらじ)という地区で、良質な粘土が取れたことで始まりました。



現在は博多人形などと同じ、福岡市の七隈粘土製造所さんから粘土を買っていますが、ルーツを見てこようと急に思い立ち、散歩しながら在自地区を歩いてみました。

場所は、筑前津屋崎人形巧房から、東へ30分ほど歩いた場所、津屋崎地区を一望する在自山の麓です。

連日の豪雨が嘘のように、晴れ渡って澄んだ空気でした。

到着!左に見えるのが在自山です

「何もない」がある、雰囲気のいい土地です。

宮地海岸の方を眺めると一面が田畑です(ジブリに出てきそう、、)

この通りの名称は「対馬見通り」でしたので、昔は対馬が見えたのでしょうか。

よく見ると、アイランドシティ照葉地区のタワーマンションが!

意外なところで令和を感じますね。

海だったところに、あんな建物が立つとは、

昔の人が見たら、蜃気楼だと思うでしょうね。

さらに5分ほど山の方へ歩きました、どうやらここが在自地区の中心らしい!

赤土の畑を発見!

赤色で、粘り気があります

↑現在、津屋崎人形に使用されているような、粘土質な赤土です。

間違いなくルーツはここにあったのだと、再認識しました。

在自山は修験者の修行の地だったとか

この場所から東へ真っ直ぐ登ると、津屋崎を一望できる、金刀比羅神社の展望台があります。(写真に赤鳥居が見えます)

この日も山歩きの服装をしている人を見かけたので、人気のコースなのかもしれません。

今度は装備を整えて、在自山に登りたいと思います。

この地域が無ければ、僕が人形を作っていることもないだろうと考えると、感慨深くなりました。

自分のルーツがここに在るという、まさに「在自」ですね(笑)。

在自山に手を合わせて帰宅しました。

普段は製作のことや小難しいことばかり考えてしまうので、たまには考えすぎず、ゆっくり津屋崎散歩で楽しむことも大事だなと思いました。

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